池田真市 子ども食堂基金|子ども食堂と寄付のコラム

子ども食堂は本当に必要なのか?―疑問から見える現実と希望

子ども食堂は本当に必要なのか?―疑問から見える現実と希望

2025年09月04日 10:16

池田真市(子ども食堂基金)


「子ども食堂」という言葉を耳にする機会が増えています。全国の数はすでに7,000か所を超え、地域のあちこちで広がっています。その一方で、「本当に必要なのか」という疑問も聞こえてきます。
親の責任を奪っているのではないか、行政が担うべきではないのか、遊び場になっているだけではないか。こうした声は時に厳しく響きますが、私はそれらを無視せず、真剣に受け止めたいと思います。疑問を見つめることで、子ども食堂の意義がより鮮明になるからです。

親の役割を奪う場なのか

「子どもに食事を用意するのは親の務めだ」という意見は当然のことです。しかし現場にいると、そうした務めを果たせない事情を抱えた家庭があることに気づきます。経済的に困っている場合もあれば、親が長時間働かざるを得ず、子どもが一人で食事を取るしかないこともあります。
大切なのは食事そのものだけではなく、「誰かと一緒に食べる時間」です。ある子は最初、黙ってお皿を見つめていましたが、回を重ねるごとに笑顔を見せ、友達と会話しながら食事を楽しめるようになりました。子ども食堂は親の代わりではなく、子どもが孤独から解放されるもうひとつの食卓なのだと感じています。

行政が担うべきではないのか

「ボランティアに頼らず、行政が責任を持つべきだ」という意見もよく耳にします。確かに公的支援は欠かせません。けれども制度の網目からこぼれ落ちる家庭は少なくありません。
子ども食堂は、そうした子どもたちに柔軟に寄り添うことができます。その一方で、現状は多くが善意のボランティアに依存しており、継続性に課題があります。私自身も「このままでよいのか」と思うことがあります。だからこそ、基金としては一時的な支援ではなく、持続可能な仕組みに変えていくことに取り組んでいきます。

困っていない子どもが来ているのでは?

「本当に困っている子どもが利用しているのか」という疑問もあります。確かに元気いっぱいに遊ぶ姿を見れば、そう思う方もいるでしょう。ですが、実際には「困っている」と言えない子どもがたくさんいます。
食卓を囲みながら何気ない会話を重ねるうちに、小さな不安や孤独が見えてくることがあります。SOSを声に出せなくても、「ここなら安心できる」と思える居場所があることが、すでに大きな支えになるのです。子ども食堂は食事の場であると同時に、心の居場所でもあるのです。

疑問の先にある希望

子ども食堂をめぐる疑問は、決して否定だけではありません。むしろ、問い直すことで本当の役割が浮かび上がります。子ども食堂は完璧な制度ではなく、地域が知恵を出し合いながら築き上げる営みです。
私は、子ども食堂が「貧困の象徴」ではなく「地域の希望」として広がってほしいと願っています。子どもたちがここで得た安心や出会いを糧に、将来「自分も誰かを支えたい」と思えるようになれば、それは大きな循環につながります。基金としては、その循環を支える仕組みづくりを続けていきます。


―――――――――――――――

日本の子どもの9人に1人が貧困状態です。

あなたの寄付が、食卓と未来を支えます。

小さな一歩でも、大きな支えに変わります。

👉 ご支援はこちら → ikeda-fund.jp

―――――――――――――――


参考:

  • 「子ども食堂、全国に7000か所超 孤食防ぐ取り組み広がる」(朝日新聞/2025年6月)

  • 「子どもの7人に1人が相対的貧困 厚労省調査」(NHK/2024年12月)

  • 「子ども食堂、支えるのは地域のつながり」(毎日新聞/2025年3月)


ホーム